[イラストで描く世界史人物伝] Vol.6 ダレイオス1世
2020年9月2日

Vol4、Vol5と描いてきたアケメネス朝ペルシアの王達だが、もう少し続けてみよう。今回は前回のカンビュセス2世からアケメネス朝を引き続き、アケメネス朝を絶頂期へと導いたダレイオス1世を描いてみる。


疑惑の王位継承
このダレイオス1世、カンビュセス2世の跡をついてアケメネス朝ペルシアを治める事となった人物であるが、実はカンビュセス2世と確定的な血の繋がりはない。
確定的な血のつながりは無いとはどういう事かというと、そもそもダレイオス1世の出自に関しては不明な部分が多く、あくまでもダレイオス1世自身が主張した血統によると、一応5代前にさかのぼるとキュロス2世、カンビュセス2世の血統とつながるそうだ。王位を継承する前にはキュロス2世の槍持ちをしていたという話もあったりと、その出自的な部分では不明なところ多く、カンビュセス2世と確定的な血の繋がりは無いと言える。
では、そのような出自的にちょっと怪しい男が何故アケメネス朝の王位をカンビュセス2世から継ぐこととなったかというと、その流れにはだいぶ怪しい経緯があった事が伺える。
ダレイオス1世はベヒストゥン碑文という碑文に自分の業績を多言語で残しているのだが、その碑文によると、カンビュセス2世がアフリカに遠征中、本国で反乱が起き、カンビュセス2世はそれを平定するために本国へ隊を戻す。だがその帰路の途中、寿命により死んでしまった。そしてカンビュセス2世に代わりダレイオス1世が反乱の首謀者を殺害し、反乱を平定し、アフラ・マズダー神(ゾロアスター教の神)に導かれ王位を継承したのがダレイオス1世だと言うのだ。
ギリシアの歴史家ヘロドトス等の資料によると、カンビュセス2世は反乱に悲観して自殺、または落馬による怪我がもとで死亡、ダレイオス1世はその後、掟や話し合いの結果王位を継ぐことになった、など色々と諸説もあるのだが、とにかくカンビュセス2世は反乱がおきてから、自然に、あるいは事故で、あるいは自らの手で、死亡。その後平和的かつ正統的に王位を継いだのが、この出自不明のダレイオス1世という事になる。
なんとも出来過ぎた話である。
この出来過ぎた流れには当然専門家の色々な指摘があるのだが、著作も思わず納得してしまうのが、カンビュセス2世のアフリカ遠征中に起きた反乱の首謀者こそが、実はこのダレイオス1世という説だ。
ダレイオス1世自身が反乱を画策し、カンビュセス2世を暗殺、その後王位を奪取。その後はその正当性をうたうために数々の「出来過ぎた」逸話を残させた、と考えると非常に合点がいく。
ペルシア戦争で残したヨーロッパ大陸への爪あと
とまぁ、その王位継承にはだいぶ怪しい流れがあるのだが、とにもかくにも彼はアケメネス朝という当時最大の国家を受け継ぐことになる。
そして、その治世として特に有名なのが、やはりギリシア連合との戦争、ペルシア戦争であろう。ペルシア戦争によって初めてヨーロッパの歴史上に古代オリエントが大きく姿を現すのだ。
ペルシア戦争とは従来従属的であったギリシア各国が見せたアケメネス朝への反抗的な態度に業を煮やしたダレイオス1世が、ギリシア各国粛清のためにしかけた戦争である。
当時最強の軍隊を持つアケメネス朝を引き継いだダレイオス1世、やはりペルシア戦争ではなかなかギリシア連合を苦しめる。だが迎え撃つ形となるギリシア連合軍、地の利を生かし、長距離走「マラソン」の語源ともなったマラトンの戦いに勝利する事で、アケメネス朝を一時的にギリシアから退ける事なる。
一旦の勝利を収めることとなったギリシア連合軍であるが、ヨーロッパにとっては東方のはるか巨大な国が、強大な軍事力を持って直接ヨーロッパの地に踏み込んできたのは、文字通りの歴史的で衝撃的な出来事であったのであろう。
このダレイオス1世はヨーロッパ側からは大帝国ペルシアをまとめあげる偉大な王と認識されたらしく、ギリシアの歴史家ヘロドトスは彼の治世を詳細に資料に残しているし、後にアケメネス朝を滅ぼしマケドニア王国を築く事となるアレクサンドロス3世はダレイオス1世の墓を探し、墓にに書かれていた碑文をギリシア語に翻訳させたという。
実際にアケメネス朝は彼の代でその領土と勢力は最大となり、経済政策などにも長けていた事もあり、彼がアケメネス朝を絶頂期に導いたのは間違いのない事実である。
今回はこの様なダレイオス1世を、怪しい出自を正当化するために見た目の王族らしさに固執し、軍事よりは政治謀略、経済に長けたイメージで描いてみた。
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